久しぶりに映画館でガッツリ泣いた、ナカトミツヨシ(@meganetosake)です。
ダニエル・クレイグ扮するジェームズ・ボンド5作目にして最終作『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』を、やっと観ることができた。『007 カジノ・ロワイヤル』のレビューでもお伝えしたのだが、私007シリーズの大ファンで、1963年公開の1作目から全て観ている。さまざまな名優が演じるジェームズ・ボンドを観てきたが、中でもダニエル・クレイグ版の007は面白い。
特に『007 カジノ・ロワイヤル』は衝撃的な面白さで、放心状態になってしまったのを今でも覚えている。そして続く3作品も面白かったのだが、傑作すぎた『007 カジノ・ロワイヤル』を超えられる作品はまだなかった。
それを『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、超えてきた。ダニエル・クレイグ扮するジェームズ・ボンドの最終作としてはこれ以上ない傑作、まさに有終の美とも言える作品だった。そして映画館で思いっきり泣いた、唯一の007作品だ。そんな涙の理由を、ネタバレしない範囲でお伝えしていきたい。
CONTENTS
あらすじ
ボンドは00エージェントを退き、ジャマイカで静かに暮らしていた。しかし、CIAの旧友フィリックスが助けを求めてきたことで平穏な生活は突如終わってしまう。誘拐された科学者の救出という任務は、想像を遥かに超えた危険なものとなり、やがて、凶悪な最新技術を備えた謎の黒幕を追うことになる。
最初から最後まで心を掴んで離さない
『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』は「ド派手なアクション」と「静かなシーン」どちらとも、主人公たちの心の奥底にある想いを語りかけてくる。特にダニエル・クレイグの演技がもう、すごい。すでに完成していたジェームズ・ボンドとしての演技を、さらに磨き上げたと言える。元々「静かなシーン」も得意な彼だが、ただ佇むだけでも痛いほど想いが伝わってくる演技には痺れた。顔に刻まれたシワひとつひとつが、語りかけてくるような表情なのだ。
対して「ド派手なアクション」も飾りでは無い。カーチェイス中でも、銃弾に襲われる時も、引き金を引く瞬間でさえ全てに想いがこもっている。今思えばアップのシーンが多くて、今までの作品以上に演者の「表情」が描かれた作品だったかも。それも相まって、映画を構成するシーン全てが語りかけてくるような、密度の高い映画だった。
どうしても中弛みしたり、今のシーン必要だったかな…と思ってしまう事って多々あるのだけど、『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』は最初に私の心を掴んでから、最後まで離すことはなかった。シリーズ最長の163分(2時間43分)という上映時間だが、1秒ごとに拳を握りしめながら観ていて、終演後ちょっと手の筋を痛めていたほどだ。
とあるエージェントの人生を全て体験した
ダニエル・クレイグ版の007シリーズは、ストーリーが全て繋がっている。『007 カジノ・ロワイヤル』ではジェームズ・ボンドが「007」のエージェントになるまでの物語。そこから彼は成長しつつ、任務に失敗することもあり、幼少期のトラウマと対峙し、恋をして、またさまざまな人たちとの別れも経験する。ジェームズ・ボンドは手の届かないスーパーヒーローとしての虚像ではない、確かに、そこで生きている一人の人間として常に描き続けられてきた。
それは非常にリアルで、まさに「とあるエージェントの人生」を全て、体験し切ったと言っても過言ではない。他にもスパイ映画シリーズって数多あるが、ここまで濃厚に一人の人生を全て描いた作品はそう多くないだろう。
私はジェームズ・ボンドが好きになっていた
そんな彼の人生をなぞっているうちに、私はジェームズ・ボンドが好きになっていたのだろう。数年に一度公開される作品で彼に再び会えるのを楽しみにしていた。そして会うたびに「おっ!久しぶり!最近どうしてた?」という近況報告を、映画を通して受け取っていたのかもしれない。最近も大変だったねぇ、お疲れさま。まあ一杯呑みなよ。みたいな。
キャラクターを知人のように思うのって、究極の感情移入だと思うんだけど、ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドにはそうさせる魅力・演出が全て揃っていた。それが過剰に「好きになっちゃいなよ」という演出ではなく、自然と好きになっていたのだから驚きだ。
だからこそ、だからこそダニエル・クレイグ扮するジェームズ・ボンド最終作なんて、泣くしかない。15年間もの年月一緒に成長してきた(と勝手に思っている)そんな知人みたいなジェームズ・ボンドのラスト。開幕から過去の作品を思い出させる演出。いろんなものが重なって、感情の渦が制御できなくなり、気づいたら大粒の涙が流れていた。
私の涙の理由は、そんな大好きなジェームズ・ボンドとの別れの涙だったんだろうなぁ。
そしてダニエル・クレイグ、15年間おつかれさまでした。
最初からもう一度見たくなる最後
ただもうちょっとジェームズ・ボンドの活躍を観たかったな、が本音。なんだけど、シリーズモノって、もうちょっと観たかったな、くらいで終わるのがちょうどいいんだと思う。作中では描かれなかったジェームズ・ボンドを想像する余地もあるし、今一度1作目からジェームズ・ボンドの軌跡を辿り直したい気持ちにもなる。
全く足りなかったり、逆にお腹いっぱいまでシリーズを続けちゃうと、そんな気持ちにはならない。この「もうちょっと観たかった」は、シリーズの最終作としては完璧だったと思う。
おそらく私はまた1作目から観るだろう。Blu-ray BOXが発売されたら、買うだろう。私の中で燦然と輝く、大好きなシリーズのひとつにダニエル・クレイグ版007は仲間入りしてくれた。そんな晴れやかな気持ちと、もうちょっと観たかった喪失感との狭間でしばらくは、いわゆる007ロスな気持ちをじっくり味わいたいと思う。
なんとかロスみたいな気持ちって、そこまでハマれる作品でないと味わえない貴重な時間だと思っていて。なんだか最近味わっていなかった、とても久しぶりな感覚だなぁ。